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Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.80
日本緩和医療学会ニューズレター
Aug 2018  80
よもやま話
英国への長期出張で考えたこと
(1)King’s College London、緩和ケア、看護
東北大学大学院医学系研究科 保健学専攻緩和ケア看護学分野
宮下 光令

 2017年10月から2018年3月まで国際共同研究加速基金という科研費で英国に長期出張の機会を得た。ニューズレター編集部から依頼を受けたので、自分にとってもいい振り返りになるので、この出張で学んだことを本コーナーに書かせていただくことにした。
 私が滞在したのは英国King’s College London(KCL)のCicely Saunders Institute(CSI)であった。所長は今年、神戸の学術大会に来ていただいたIrene Higginson先生であり、世界で唯一最大規模の緩和ケアの研究を目的とした研究所と言っていいだろう。まず初めにKing’s College Londonと日本の関係から振り返ろうと思う。
 いわゆる「脚気論争」をご存知だろうか。EBMを学ぶときに最初に聞くことが多いこの話だが、日本に戻って意外と知らない人が多かったのでここで簡単に解説する。脚気はご存知のとおりVitamin B1欠乏症であり、江戸末期から第二次世界大戦の頃まで国家的な健康問題であった。特に問題であったのが軍隊で、いくつかの大きな戦争で戦闘よりも多くの脚気による死者を出していた(ナイチンゲールの時代に軍隊が戦闘でなく感染症で多くの死者を出していたことに似ている)。脚気論争を簡単に説明すると、海軍の軍医であった鹿児島医学校出身で英国St.Tomas医学校(KCLの前身の1つ)に留学し英国流の経験論(エビデンス重視)に依拠した高木兼寛と、陸軍の軍医であった東大医学部出身でドイツ流の観念論(病因・基礎研究重視)に依拠した森鴎外の論争である。高木兼寛は脚気の原因を食生活と考え実際の海軍の軍艦で比較試験を行い、白米を玄米に変更することにより海軍から脚気を根絶することに成功した(高木はたんぱく質が原因と考えていたので理論は間違っていた。ただし当時Vitaminはまだ世界的に発見されていなかった)。しかし、森鴎外は高木兼寛の進言を聞き入れず、その後も陸軍で死者を出し続けた。森鴎外が玄米を採用しなかった主たる理由は、いくつか理由があるが、「脚気菌」説を支持した東大医学部への「忖度」もあったと考えられている。東大医学部および陸軍の権威というものは絶対的なものであったのだ。
 この話には2つ続きがある。1つ目はVitamin B1に関するもので、当時ドイツ留学中であった北里柴三郎(東大医学部卒)は北里の師でもある緒方正規(東大医学部講師)の「脚気菌発見」の論文に対して批判する論文を書き、森鴎外や日本の医学会から批判・冷遇された。また、現在ではVitamin B1の発見者の1人と考えられている鈴木梅太郎は東大農学部の出身であるという理由で、東大医学部の妨害を受けノーベル化学賞の受賞機会を逃したとも言われている。農学部出身者が医学研究で日本初のノーベル賞では東大医学部の面子が潰れるというのである。
 もう1つの続きは看護に関するものである。高木兼寛が留学したSt.Tomas医学校はナイチンゲール看護学校が開設された場でもある(ちなみにCicely SaundersもSt.Tomas医学校出身である)。CSIは2017年に医学部から看護学部に移管されたが、看護学部の現在の名称はFlorence Nightingale Faculty of Nursing, Midwifery & Palliative Careと呼ぶ。高木兼寛は日本で慈恵大学を開設したが、すでに開設されていたナイチンゲール看護学校に刺激を受けるとともに、医療における看護の重要さを認識し、日本初の看護学校を開設した。ここまで書いて、King’s Collegeと緩和ケア、看護がつながった(のでレターの内容として間違ってはいないだろう)。ふー、長かった。
 今回、なぜこのようなことを書こうと思ったかというと、英国で現在学んでいることを日本にどう生かすかと考えた時に「日本はつくづく階層社会である」ということを実感したからである。英国では人間関係自体が(少なくとも表面的には)フラットであるだけでなく、NHSの終末期医療政策に関しても進捗状況がデータとして適宜モニタリングされ、それに対する監査やNHSによる政策の見直しが適宜行われている(これについては機会があれば後日書こうと思う)。例えば英国で国策の一環として導入されたLiverpool Care Pathwayは不適切な運用が報告されたのちに、第三者委員会により検証され、中止が勧告された。
 日本の状況はどうであろうか。折しも現在、医科大学における受験時の女性差別が話題になっているが、日本にも階層社会における「見えないガラス」は実在するように思える。国や中央官庁、大学の序列、男尊女卑、医師と看護師…、手盛りと忖度…。エビデンスより階層・序列・関係性が重視される意思決定方式は日本の伝統でもある。
 この現実がすぐに(というか、かなり時間が経っても)変わるとは思えない。ただ「脚気論争」の頃と違うのは、社会の中での情報格差が小さくなってきたことと、少なくとも臨床においては「エビデンス」がより尊重されるようになってきたことだろう。平民でも権威に対抗する手段を得た。ここ20年間で日本の緩和ケアも看護も大きく進歩し、医療の重要な1要素と認識されている。これは多くが臨床家たちの実践と教育による側面が大きいと思う。しかし、学術面ではまだ格下と思われている感は否めない。2010年に発表されたTemelらによる早期緩和ケアの試験は緩和ケア専門家だけでなく多くの腫瘍学の関係者に関心を持って受け入れられた。今後は学術的な面での発展が重要だろう。
 長くなったが、「脚気論争」は知っていてもあまり詳しくない、という方は、ネットでいくらでも資料は手に入るので、様々な視点からの論争とその後の解釈を見て、現代社会の在り方について考えてみることをお勧めする。以上「よもやま話」なので許されるかなと思って好きに書いた。ついでに(1)とした。クレームが来なければ(2)(3)と続けていこうと思う。次からは、個人的・思想的な話ではなく、緩和ケアの研究や質の評価に関して学んだことを中心に書こうと思う。


Cicely Saunders Instituteと筆者。

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