Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.62
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2014  62
Current Insight
論文投稿を勧める、二つの大切な理由
オンラインジャーナル(学会誌)編集委員会 委員/しんじょう医院   新城 拓也
 皆さんは論文を投稿するということに関してどんな思いを持っていらっしゃいますか。本当は書かなくてはならないけどじっくりと取り組む時間がない、書いてみたいけど書き方が分からない、自分の研究が書くに値するものなのかどうか自信が持てない、色んな思いがあることと思います。実は私もずっと同じような思いを持っています。それでも論文を書き続けています。それは何故なのか、自分でも深くは考えていませんでしたが、ふと思い立ち、診療の合間にじっくりと考えてみました。すると、二つの大切な理由が心に浮かびました。
 まず一つ目の理由ですが、論文というのは研究のゴールです。例えば 簡単なアンケートの研究でも、アンケートの作成に関わる医療者や専門家、アンケートを配布する事務職、そしてアンケートを実際に記入する患者さんやご家族。さらには、アンケートを集計する人もいます。そして集計した結果を計算し、結果からどんな事が分かるか検討します。その検討にも、同僚や専門家 、もしかしたら自分とは職場の異なる専門家の助言も必要かもしれません。
 このように、一つの研究は多くの人達の協力と労力の結晶と言えます。臨床でも最近は一人のカリスマのスーパードクターの存在よりも、チーム医療の重要性が強調されるようになりました。細分化し専門化していく医療の世界で は、最早ブラックジャックが一人で奇跡を起こし続ける事は出来ないのです。臨床の現場だけではありません。研究の世界でもチームの力が重要だとつくづく思うようになりました。自分の関心のあるテーマをきちんと他人が理解できる状態にし、さらに外に向かって発信するには多くの人達の力を必要とします。こうして、臨床だけではなく、研究も自分一人の努力だけでは形にならない現状となりました。
 そして、私自身も臨床でも研究でもチームの力を感じています。自分で全部やれれば、自分で全部やることができれば一番大きな成果が出せると思い込む、傲慢な若さはもうありません。チームで仕事をする喜びを心底から実感できる、そのような謙虚さを持つことが出来ました。そして、今私は、自分の関心にチームとして研究に関わった同僚の労力と時間、そして何と言っても自分の研究に協力して下さった、患者さん、ご家族のためにも必ず自分の研究を形にする使命感を感じています。どんなに小さな 研究でも、形にしなければ、同僚と患者さん、ご家族に不義理をしてしまう、そんな風に私は考えています。形にしない研究は宙に浮き、いつまでも世の中に着地できない状態になります。これを「成仏できない状態」と私は密かに呼んでいます。成仏でも昇天でもよいのですが、必ず研究は終わらせなくてはなりません。成仏できない研究は、他の誰でもない、自分の心の中で小さなとげのように残ってしまうことでしょう。
 ですから、是非とも論文を投稿してあなたの研究を終わらせて下さい。「私の研究なんてたいしたことない」などと思わず、多くの人達の関わった結晶は、どうか同じ時代を生きた証として成仏させて下さい。
 二つ目の理由は、論文というのは後世への贈り物だということです。今、あなたが疑問に思って研究をしたこと、あなたが診療でうまくいったと思って報告したことは、いつか、どこかの誰かに必ず役立ちます。いや、役立つと信じて下さい。研究のゴールを学会発表にする方も多いと思いますが、学会発表は学会が終われば、内容(コンテンツ)は消えてしまいます。例えプログラムが残っていても、情報量が足りないため詳細が分からないか、プログラム自体を持っていない人達には、検索不可能です。学会発表は多くの人達の意見、批判を同時に討論するには優れていますが、時間を超えて研究の結果を残すという点では、論文発表と比べて明らかに劣っています。言い換えれば、学会発表とは揮発性の高い方法だということです。その点、論文は形になって内容が残りますので、後世への記録という点で優れていることは言うまでもありません。しかし、私が強調したいのは、論文とは「贈り物(gift)」だということなのです。
 例えば、私も診療でうまくいかないときには、色んな人に意見を求めますし、自分のMacからPubMedを検索し疑問の解消をしようと試みます。時には的外れな意見、論文を沢山読まされることもあります。しかし、真剣に自分が疑問の解消を求めているときには必ず良い論文に出会えます。まるで宝物を見つけ出した気分です。「ああ、世界のどこかに自分と同じような事で悩み、そして研究しある程度の答えを論文として世間に発表している人がいる」と、顔見知りでもない著者に感謝すら感じます。そして良い論文は、自分の知らない臨床観、世界観を提示しています。今まで自分が臨床でうまく行かなかったのはただ単に知識や技術が欠損しているからだけではなく、物事の考え方や問題解決の根本となる理路、言い換えればOS(Operating System)の未熟さにあるのだと気付かされることだってあります。私が、緩和ケアの臨床観、世界観や、症状緩和の基礎、そして人間を見つめる視点を学んだのも優れた研究の論文でした。皆さんにも、自分の仕事の取り組みが変わるほどの影響を受けた論文がもしかしたらあるのではないでしょうか。
 つまり、論文を書くということは、後世への贈り物になるということです。宛先のないボトルレターのようなものです。そのボトルがいつ、誰に回収されるかわからなくても、今の自分の知性と努力を駆使して「どうか自分の研究をわかってほしい」という切迫感をもって書かれた論文には、必ず誰かの贈り物になる崇高なオーラが漂っています。
 自分の研究が誰かに届く、自分と同じ悩みを感じている人は、世界のどこかであなたの論文を待っている。これが論文を書く大事な理由なのです。
 そして、研究は誰でも検索可能で、閲覧可能な状態でなければ贈り物にはなりません。折角ボトルレターを手に入れても、そのボトルを開ける特別な鍵(ID、パスワード)や多くの人達にとって解読不可能な暗号(日本語)で書かれていれば、手中に贈り物が届いているのにその価値に気付かないという残念なことが起こります。
 日本緩和医療学会誌、オンラインジャーナルは、誰でも特別な鍵もなく全文にアクセスできますし、本文は残念ながら解読不可能な暗号ですが、英語の抄録があり一部は世界中からアクセス可能です。
 ここまで読んだあなたなら、なぜ論文を書くのか、そしてどうして日本緩和医療学会誌に投稿するべきなのかお分かりになったと思います。あなたの研究を成仏させ、そして後世への贈り物として下さい。

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