Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.55
日本緩和医療学会ニューズレター
May 2012  55
Current Insight

悪液質−What is cancer cachexia?−

藤田保健衛生大学 外科・緩和医療学講座  森 直治、東口 志
 最近の代謝・栄養学の発展により、栄養状態ががん患者の予後や生活の質(QOL)に多大な影響をおよぼすことが明らかになってきた。しかし、がんの進展に伴い複雑な栄養不良症候群である悪液質(cachexia) は、治療抵抗性で緩和医療における栄養管理を困難なものにしている。本稿では、世界的に注目を集めている悪液質について、最近の動向を中心に概説する。
 悪液質はがんに限らず、種々の慢性消耗性疾患における栄養不良の終末像であり、栄養不良により衰弱した状態を指す言葉として古くから用いられてきた。これまで明確な定義が無く、あいまいな概念であったが、2006年に米国ワシントンで行われたコンセンサス会議で、「悪液質は基礎疾患に関連して生ずる複合的代謝異常の症候群で、脂肪量の減少の有無に関わらず筋肉量の減少を特徴とする。臨床症状として成人では体重減少、小児では成長障害がみられる。」と定義された(通称:Washington defi nition)。2011年初頭には、がんの特性を考慮し、「がん悪液質とは、栄養療法で改善することは困難な著しい筋肉量の減少が見られ(脂肪量の減少の有無に関わらず)、進行性に機能障害をもたらす複合的な栄養不良の症候群で、病態生理学的には、栄養摂取量の減少と代謝異常によってもたらされる蛋白およびエネルギーの喪失状態である。」と“がん”悪液質についての定義が提唱されている 。これは、European Palliative Care Research Collaborative (EPCRC) 、European Association for Palliative Care(EPAC)やEuropean Society for Clinical Nutrition and Metabolism(ESPEN)といった欧州における緩和医療、栄養関連の主要学会、北米のエキスパートによって支持されており、今後、がん悪液質の標準的な定義として定着する可能性が高いと考えられる。
 悪液質では主徴である筋肉量の減少をはじめ、脂肪量の減少、エネルギー消費量の増大、インスリン抵抗性、急性期蛋白産生などがみられる。これらの著しい異化亢進をもたらす代謝異常と、食欲不振等によるエネルギー摂取量の減少が密に影響し悪液質を形成している。悪液質の機序は次第に解明されつつあるが、未だ不明な点も多い。腫瘍から放出されるProteolysis-inducing factor(PIF)、Lipid mobilizing factor(LMF)等の関与や、神経内分泌系の異常が注目されてきたが、なかでもがん組織と宿主間の相互反応による炎症性サイトカインの活性化は、様々な代謝異常や食欲不振に深く関与していることが明らかとなった。近年、悪液質は種々のサイトカインを介する全身の炎症状態として捉えられるようになっている 。
 悪液質は、一般にがんの進行に伴い、次第に死をもたらす不可逆性の栄養不良に進展していくが、がん種により悪液質を生じにくいものもあり、その進行速度も様々である。症候群である悪液質の臨床症状の多様性は、phenotype(表現型)の多様性として捉えられるようになり、phenotypeを形成する要因の究明は、悪液質の成因や治療、生物学的指標の同定に直結する可能性が示唆されている。phenotype は、genotype(遺伝子型)および、抗がん治療をはじめとする種々の環境要因によって影響を受ける。悪液質の進展には、炎症を惹起する特定のサイトカインや接着分子の発現に関わる遺伝子をはじめ、いくつもの遺伝子の関与が想定されている。


図 がん悪液質のステージ
Fearon K et al. Definition and classification of cancer cachexia: an international consensus. Lancet Oncol 2011;12(5):489-95.


 がん悪液質のステージに関して、臨床症状と栄養療法に対する反応性等を考慮し、“pre-cachexia”、“cachexia (syndrome)”、“refractory cachexia”と名付けられた3段階の病期が提唱されている(図)。代謝異常が軽度で、明らかな悪液質の症状を呈さない状態が“pre-cachexia”で、高度代謝障害により栄養サポートを行っても栄養状態の改善の余地が無い最終末期の状態は“refractory cachexia”とされた。早期の栄養サポートにより栄養不良の進展を遅延させ、抗がん治療への耐用性を向上できると考えられるようになり、pre-cachexiaの概念が重要視されつつある。一方、refractory cachexia は栄養状態の回復が不可能な段階に陥っており、栄養サポートの目的は、栄養状態の改善よりもむしろQOLの維持・向上を重視したものとなる。必要以上のエネルギーや十分すぎる輸液量の投与によりQOLを悪化させることが無いよう、慎重な栄養サポートが求められる。各ステージの診断基準に関しては未だ議論が多く、検討の余地があるが、“cachexia”の前後にある“pre-cachexia” と“refractory cachexia” の概念を理解することは、“悪液質”を念頭に置き代謝・栄養学を駆使したがん患者の病態や症状の制御や改善を行う上で大きな意味があると考える。
 がんによる悪液質は、がんの進行をコントロールできない限り進行性の経過をたどる。現在、悪液質に伴う低栄養を、栄養療法単独で回復させることは困難であるが、栄養指導や軽い運動の励行、抗炎症療法などを早期から集学的に行うことが、悪液質による低栄養、筋肉量減少の進行を緩和し、QOLを向上させる最良のアプローチと考えられている。
 世界的な人類の高齢化の中で筋肉量の減少(sarcopenia)によるQOLの低下は、地球的規模で解決すべき課題であり、筋肉量の減少の原因であり終末像である悪液質もまた栄養領域、緩和領域の研究におけるホットトピックとなっている。上質な緩和医療の提供には悪液質を念頭に置いた栄養管理、早い段階からの栄養サポートが不可欠であり、悪液質の啓発、およびその克服は本学会の重要な使命の一つと考える。

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