Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.42
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2009  42
巻頭言
見つめ続けることのできないもの
静岡県立静岡がんセンター  青木和恵
 看護の責任者となって緩和医療を俯瞰してみると、がん看護の実践者であったときには見えなかったことが見えてくる。その一つに緩和ケア病棟の看護師たちが抱える悲哀がある。そのことに気がついたのは、私の勤務する病院に二つの緩和ケア病棟があり、両方の類似点を見つけやすかったからだと思う。
 緩和ケア病棟では心を弱くさせて、しばらく休んだり、退職を希望したりする看護師が他の病棟に比べて多い。私はこの現象にはじめてぶつかった時、1600年代のフランスの文学者ラ・ロシュフコーの「人間には見つめ続けることのできないものが二つある。太陽と死だ」という言葉を真実として実感した。もちろん緩和ケア以外の病棟でも多くの患者の死を看護師は看取っている。が、彼女ら彼らはそれ以上にたくさんの患者を、自分たちの想像力が働く、確実な生の世界に送り出している。そこにラ・ロシュフコーの「見つめ続けることができないもの」ということばの重さを実感するのである。
  不本意ながら、緩和ケア病棟には看護師の緊急避難的存在、つまり駆け込み寺のような存在という側面がある。治療に関する医療が分刻みで行われていく病棟や外来では不可能な、患者とのコミュニケーションや交流を、緩和ケア病棟は実現させてくれると思う看護師は多いようである。そのことは年度の途中で他の施設を辞職してわたしたちの病院に入職を希望する看護師、治療主体のがん医療の速度やあわただしさに対して不適応となり所属部署の異動を希望する看護師に、緩和ケア病棟を希望することが圧倒的に多いという現象から感じている。確かに緩和ケア病棟は患者主体に時間を流そうと懸命な努力を続けている。しかしそれは目前に患者の死を見ているからである。その厳しさを感じず、知らず、駆け込むようにして飛び込む看護師たちの覚悟の不足も、心を弱くさせて休んだり退職したりすることが多いという現象の一つの因子なのであろうと推測する。
 緩和ケア病棟が、終末期の患者に専門性の高い医療と環境を提供するために独立して運営されるようになったことは、がん医療にとって大きな前進に違いない。しかしそうして立ち上がった緩和ケア病棟でこのような看護師の悲哀に直面するとき、医療者にとってはこのことはどうなのだろうか、と思わざるを得ない。否、はたして患者のためにもどうなのだろうか。緩和ケアチームや緩和医療の外来が活発に稼動していれば、普通の病棟や家庭で終末期を過ごし、死に臨む方が自然で幸せなのではないだろうか、との疑問を抱くに至るのである。
 喜び、悲しみ、怒り、笑い、涙、希望、絶望、苦痛、快楽、男、女、おとな、子供、若人、老人、愛、憎しみ、生、そして死。人間の感情とは、このような混沌とした中で初めて生き生きと働くのではないだろうか。人間は死のみを見つめ続けることはできない。その過酷な環境で誠心誠意仕事する看護師のために管理者としてするべきことは大きい。

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