Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.40
日本緩和医療学会ニューズレター
Aug 2008  40
Current Insight
死亡率100%ということ
埼玉医科大学国際医療センター 緩和医療科 奈良林 至
 この不確実な時代にあって絶対確実なこと、それは、私たちは必ず死ぬということである。当たり前のこの事実について、少し考えてみたい。
 昨年はがん対策基本法が施行され、それに基づいてがん対策推進基本計画が策定された。がん診療に携わる全ての医師に緩和ケアの研修が課され、来年度の医師国家試験の出題基準が改訂されて【必修】の大項目に「死と終末期ケア」、【総論】の疾患・病態生理の大項目に「腫瘍」、同じく治療の大項目に「緩和医療」が新設された。命を預かる職種であり、日々研鑽を積むことはやぶさかでないが、努力を求められるのは医師・医学生側だけでいいのだろうか?
 昔は─おそらく、高度成長化時代となる1950年代までは─ほとんどの家庭は二世代、あるいは三世代同居の大家族で、だいたい年の順に最期を迎えていた。同じ屋根の下に弱っているヒト、死にゆくヒトがいた。それを、チビはチビなりに、若者は若者なりに受け容れ、ヒトには終わりが来ることを日常生活の中で経験してきた。ところが、核家族化した現代は9割を超える人が病院という普段の日常生活とは切り離された世界で死を迎える。日常生活から離れてしまったら、できれば関わりたくない、あるいは起きてはいけないことのように死を捉えるようになっても不思議ではない。
 医学は進歩し、がんもずいぶん治癒が望めるようになってきた。しかし、がんが治癒してもヒトは死ぬ。家庭において生活の中の死を経験できなくなり、学校でも教育されないまま日常生活を送っているところに、例えば「がん」と診断されて初めて死を意識することになる。だから、慌てる。
 医療者が緩和ケアの技術を磨き、患者や家族をサポートしていくのは結構なことだが、患者も、というか私たちも死を意識した時に慌てふためかなくてすむように、折に触れ考えを深めておくことが必要なのではなかろうか。このような話題になると、最近はイソップの‘アリとキリギリス’の寓話が思い出されてならない。

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