Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.35
日本緩和医療学会ニューズレター
May 2007  35
Current Insight
死に直面するがん患者 −その2
東京都立駒込病院 副院長  佐々木常雄
 以前、私は「死に直面するがん患者」と題して本紙第29号(Nov 2005)で意見を述べさせていただいた。「これまでがんばって闘い、治療を受けていたのに、生きる希望を持ちたくとも、真実を言って欲しくなくとも、ホスピスなんて考えたくなくとも、患者本人の命、自分で選択する、自己決定権という御旗の下に、かなり明確に、本人自身に短い命であることを告げられる時代となってきた。20世紀の大半はがんの告知を避け、愛と思いやりのために、死を知らせないという時代であったが、21世紀に入って、標準治療を知り、その標準治療が効かなくなった時、患者は好むと好まざるとにかかわらず真実を知る、あるいは死を告げられる時代となった。患者はいやでも死と直面しなければならなくなったのである。医療者は患者がそれを乗り越える「術」を真剣に考えなければならなくなったと私は書いた。この時、私のこのことに対して、「死の準備教育」をしておくことが大事であること、実際にはそれを始めているグループがあることなどの意見をいただいた。いま死について考えることの少ない時代で、もっと死を見つめることは大事なことであると私は思っている。しかし、デーケン先生やこのような意見には誠に申し訳ないが、健康な時に学んだ「死の準備教育」が役に立たないこともあるということだ。死の準備教育が足りなかったと言われればそれまでだが、健康な時に考える死と、命の危機にある時に考える死とでは、考え方がまったく違うようになる人が少なからずいるのだ。それはここ数年のように直接本人が短い命を言われる状況が関係しているようにも思う。
 高齢者は友人やまわりが次々と死んでゆくことによって、死の準備教育はされてゆく。そして超高齢となって、がん以外で、次第に命が枯れてゆくようにして亡くなるときは、多くの場合は、それなりに、死の話しはしなくとも「阿吽」の呼吸で、目と目で納得して、死んでゆく過程があるように思う。
 ところが、最近のがんにおいては、短い命を「あと3ヶ月とか週単位とか」、患者本人に話されることが多くなっている。真実を話すことは、実は「冷たいこと」と受け取られることが多いのだ。「もう治療法がありません、好きな病院へ行っていいですよ」とは、「捨てられた命、いらない命」と言われたと受け取る患者がおられるのである。患者は医学のデータを知り、あるいは医療者から話され、短い命を知り、あるいは話されて、そして 私たち医療者がどう患者の心に寄り添えるかが大事なことであると思う。
 昨年、4月、絵門ゆう子さんが亡くなった。彼女が残した言葉を以下に書いてみる(朝日新聞より)。
 先行きの危ない見通しなど何一つ言及しなかった医療に感謝する。
 「死を受け入れよ、じゃなくて、きちんと生に執着せよって言って欲しいね」
 「余命、告知、壮絶、みたいな怖い言葉は即刻、やめるべきよ」
 「どんなに確率が低くても、難しいと思われても、完治を信じる自分がいる」
 「患者から希望を奪わないで」
 「本人が望みもしないのに余命を告げることにどんな意味があるのかしらね」絵門さんの言うことはもう無理な時代なのかもしれない。しかし、絵門さんのように思っている患者はたくさんいるのだ。ある時、患者本人から、余命を聞かれたので、主治医は正直に「あと1ヶ月と思う」と答えた。医師からみたところ、言われた患者はこれを十分受け入れ、覚悟が出来ているようであった。しかし、人生で最大の決定的なことを言われた患者はただ、心の中でじっとこらえているのだ。人の前では納得しているように見せても、夜一人の時は、きっと涙しているのだとおもう。患者は「理解でき、覚悟ができているように振舞うしかないのだ」ということに我々は思いやらなければならない。
 ここ数年、医師から短い命を告げられ、このように死に直面し奈落に落とされた状況でセカンドオピニオンとして相談に来られる患者は絶えない。このような患者と対面を繰り返すうちに、分かってきたことがひとつある。それは、私たち医療者は「患者が奈落から絶対に這い上がれるという確信を持っている」ことが大切であるということである。死と直面しどんなに辛い状況になっても、その運命の中でも、すぐそこにある死に向かっている恐怖の中でも、実は人間は誰でも安寧になれる要素を心の中に持っているのだと私は確信を持てるようになってきたのである。医療者はその安寧な気持ちを早く引き出せるきっかけを作れるかもしれないのだ。
 古くから医は仁術といわれてきた。仁とは思いやり、愛である。20世紀には患者本人に病気の悪化を、そして死を隠すことで「仁」、「愛と思いやり」を発揮してきた。「あなたは死ぬなんて、そんな残酷なことをどうして言えようか」という時代であった。しかし、21世紀になって、患者に病気の悪化を伝えて、死を伝えて、そしてこの「仁」、「愛と思いやり」をどのような形で発揮していくのかということが、われわれ医療者側の大きな課題であると思う。

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