Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.32
日本緩和医療学会ニューズレター
Aug 2006  32
教育講演5
「死にまつわる文化とケアのありよう」
演者 : 元お茶の水女子大学  波平恵美子
座長・報告 : 国立がんセンター  垣添忠生
 元御茶の水女子大学教育学部教授 波平恵美子先生をお迎えして、60分間、じっくりとお話を伺った。先生はスライドを使われなかったので、「語り」に集中した、我々の聴覚を研ぎすませての講演聴講となった。
 先生は文化人類学の一分野である医療人類学の領域で、一貫して人間の生き方の多様性をできるだけ詳細に記録する、という学問態度を堅持してこられた、という背景説明の上、本論に入られた。
 本来「死」とか「ケア」はどこにでもある普遍的で日常的な事象であるはずなのが、本学会のような巨大なとり組みが展開されている。それは、わが国で死をめぐる文化に、急速で広範な変化が起きており、そのため他部分との間に不整合、きしみが生じているため、と考えられる。その急速で広範な変化とは、1)死に場所、2)死者と看取り者との関係、3)死のあり様、の三つである。
1)死に場所
 わが国で、国民が医療を受けることが日常的になったのは昭和50年代のことである。それ以前の何十年もの間、日本人の多くは寝ついてから死まで二週間から二ヶ月で、それを家で過した。死は日常であり、生の延長に死がある。死ぬことは大事ではなく死んだ後の魂のあり様、遺体の扱いが、死にゆく人の最大の関心であった、最近は、70%の人が、医療現場で死ぬようになってきた。このため、看取りをする人が家族から医療スタッフに変り、死の苦痛をいかに短く軽減できるか? が最大の関心となってきた。死に方が急速に広範に変りつつある。
2)死ぬ人と看取る人との関係
 死をめぐる文化は、状況の変化ほど大きくは変っていない。亡くなると、遺体は霊安室から自宅、そして葬祭場、火葬場と次々と移動する。さらに、通夜、初七日、四十九日、新盆……と延々と詳細に決められた行為が続く。これは死者と残された者の間のコミュニケーションが延々と続く、ことを意味する。死ぬ瞬間だけが問題なのではなく、その後も続く死者と生者のコミュニケーションが問題である。
3)死のあり様
 ある文化では、死をもって無に帰すると考えるが、日本では生きている者の死と、死後の世界という、二種類がある。しかも、生きている間のことと、死後の世界が、しばしば並存、共存する。死者は死後も主体性をもっている。自分が生きている間に交った人に主体性が向けられている。
 現在、単身者世帯が30%を占め、今後、これはさらに増加する傾向にある。ということは、家族の看取りもなく死んでいく人、死後のコミュニケーションをとる人がいない人達が多く生ずることを意味する。こうした近未来の状況を念頭に置きながら、死にまつわる文化を考察する必要がある。
 以上がお話のエッセンスであったかと思う。永く続く死後の世界との生者のコミュニケーションという視点は、我々は日常的にあまり意識しない死の側面なので、そうした問題点の御指摘は私にとっては新鮮であったし、重要と思う。教育講演としての意義の高い御講演であった。

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