Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.29
日本緩和医療学会ニューズレター
Nov 2005  29
Current Insight
死に直面するがん患者
都立駒込病院  佐々木常雄
 2001年1月に発行された「がん告知」(竜崇正、寺本龍生編著 医学書院)によれば、「ほとんどの医師は、がんの告知は行うが、進行した癌では多くの場合、予後の告知を行ってはいない」とある。標準治療」の名のもとに、化学療法が行われるようになり、そして、その治療効果が無くなったとき、患者は以前よりも直接的に、「もう化学療法は無駄です」と告げられ、そして好むと好まざるとにかかわらず、「ホスピスなら紹介します」と言われることが多くなった。これまでがんばって闘い、治療を受けていたのに、生きる希望を持ちたくとも、真実を言って欲しくなくとも、ホスピスなんて考えたくなくとも、「患者本人の命、自分で選択する、自己決定権」という御旗の下に、かなり明確に、本人自身に短い命であることを告げられる時代となってきたようである。
 現代は、死を隠蔽し、死を考えない、よく生きることばかりを考える、そして、科学によって、哲学(ニーチェ、サルトルら)によって神は殺され、宗教は衰退し「永遠の命」を信じる人が少なくなった時代である。2004年日本緩和医療学会特別講演において、関西学院大学神学部 窪寺俊之教授(牧師)は、「人間を超えた永遠の世界を見る目差しが必要です。たった数十年、仮のこの世に現れただけで、魂は宇宙の彼方に戻るのです。死は怖くありません。」と述べた。この講演では、神を信じることのできる人を羨ましくも思えた。
 特別講演において、梅原猛氏は「私たちの生命のなかには、永遠の生命がやどり、それが子孫に甦っていく。自分は死んでも、遺伝子は生きていると考えれば、生命は連続的なものと科学的に考えることができる。この世の生命は受け継がれていくことに救いがある。」と述べた。また、梅原氏の著書にも、同様のことが書かれている。
 巨大なる哲人、梅原猛氏のすばらしいメッセージであったが、誠に失礼とは思うが、一方では、これは死への不安に対する単なるなぐさめではないだろうか? とどうしても考えてしまうのである。
 岸本英夫氏は、「死を見つめる心」の中で、次のように述べている。
 「人間にとって何よりおそろしいのは、、、死後の世界が、無理にあると自分にいいきかせて、なぐさめようとする。しかし、どうしても疑いがおこってきて、煩悶するようになることではないか。、、、、、私は死後の世界はないのだと心にきめた。なくても耐えていくことを考えはじめたのである。、、、生命の充実感にあふれるような生き方をしていけば、死の恐怖に勝ってゆけるのではないか。、、、、、そこで、それからは、ただがむしゃらに働いた。」
 標準化学療法が効かなくなり、ホスピスを勧められた患者は、岸本英夫氏のように「がむしゃらに働く時間」はすでに無くなっている方が多いのである。
 医師が「化学療法はもう無理である」ことを話した時は、患者は急に死に直面し、それはだれでも頭が真っ白になると思うのだが、その時は仕方がないと思う。
 しかし、その時には、同時に、私は医師として、何か患者自身がショックを早くのり越えられる「術」を話したいのである。「いつも私たちスタッフはあなたの側にいます。医師だっていつかは死ぬ運命です。私とあなたの絆は切れません。たとえ他の病院に移っても相談にのります。」そんなことはいつも言っていることであり、約束できることである。そんなことではなくて、それに加えて、患者自身が死の恐怖をのり越えられる「術」を話したいのである。
 フィリップアリエス(死を前にした人間)は、19世紀以前のフランスにおいて「自分の死が間近いことに気付いた瞬間というのは、それは当然、常に不愉快な時ではあった。しかし、人はその瞬間を乗り越える術を教わったものだ。」という。しかし、それは神がまだ生きていた時代の話である。20世紀の大半は「がんの告知を避け、愛と思いやりのために、死を知らせない」という時代であった。そして21世紀に入って、患者は好むと好まざるとにかかわらず真実を、死を告げられる時代となった。患者がいやでも死と直面しなければならないのなら、医療者は患者がそれを乗り越える「術」を真剣に考えなければならなくなった。ラ.ロシュフコーという人は「太陽と死は直視することはできない」といったという。死に対する心構えが、文化形態としてない21世紀に、抗がん剤治療を受け、その効果がなくなった患者は、誰もが死を直視せざるをえなくなったのである。

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