Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.29
日本緩和医療学会ニューズレター
Nov 2005  29
巻頭言
緩和ケアにおけるケアの本質−meet in KOBE, 2006−
兵庫県立大学 看護学部  内布 敦子
 兵庫を拠点に2006年6月23日、24日の本学会総会に向けて準備をさせて頂いております。現在、14名のプログラム委員の先生方と6名の事務局実行委員との話し合いで、参加者の皆様がケアの本質に出会うことができたと感じて頂くためにどのような仕掛けが必要か、試行錯誤を重ねているところです。
 さて臨床で患者さんに対応しておられる医療職の方々はどのような切り口でケアの本質に出会うのでしょうか?私も含めてですが、医療従事者は医療の現場にはいるととたんに患者さんの文化を無視して、医療従事者の価値観を押しつけます。しかも悪気なく、むしろ善意でやるわけで、それがかえってやっかいなのだと思います。なぜか病院の空気にはそうさせる何かがあるようなのですが、誰もそれと闘うことはできません。本当に膠着した不思議な文化です。まだ看護師2年目の時(25年以上前の話で恐縮ですが)に同僚が提出した事例に非常に違和感を覚えたことを思い出します。尿意はあるが尿失禁のある術後の高齢の女性患者さんに、尿器とおむつで排尿するか留置カテーテルを入れるか本人の意見を聞いたら、「自分にはどちらが良いか判断できない」と言われたそうです。しかし同僚は本人に決めさせることが最も良い看護だと思っていたので決定を迫り、患者さんは泣き出しました。術後数日目で自分がどれくらい動いて良いのか、それが手術の回復を妨げないのか、カテーテルを入れると何か悪いことが起こるのか看護師の説明ではわからなかったのですが、「決定はあなたがしなさい」と言われ、戸惑っていました。しかし、この看護師は、患者さんは感情を発露(看護師の前で泣いた)してくれたので、良かったと報告していました。また、大腿骨転移痛コントロール目的で入院した人が、陶器のお茶碗がのった重いお膳を食事のたびに運ぶのを見た看護学生が、加重負担になると判断して手伝おうとするのをある看護師が「退院したら自分で何でもしなくてはいけないのだから、手伝わないで」と制止してしまったこともありました。これらの例はあまりにも拙劣な看護師のしたこととして片づけられるでしょうか。現場にはケアと信じてやっているがケアになっていない、むしろ拷問のようになっている医療者の行為がたくさんあるのではないかと思います。ケアのバリエーションやストラテジーは多くて結構だと思うのですが、ケアの本質を共有できないまま多職種が仕事を展開すれば、悲劇は患者さんに起きます。そしてその悲劇は積み重なって私達医療者を襲います。ケアの本質に立ち戻ることは患者さんのためだけではなく私達自身の救いにつながるのだと思います。
 次の総会では、ケアを紐解くためにケアの理論家、文化人類学者、現象をとらえる質的研究の第一人者の方々に、私達がケアの本質に立ち戻ることを助けて頂けるご講演をお願いしています。抄録の締め切りは、例年通り2月下旬頃を予定しています。第11回総会ホームページを時々チェックして下さい。
http://www.intergroup.jp/~conv/kanwa2006/
2006年6月23日、24日、神戸で皆さんをお待ちしています。

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