Japanese Society for Palliative Medicine
News Letter No.26
日本緩和医療学会ニューズレター
Feb 2005  26
読者からの声
ヒマラヤ追悼登山から考えさせられたこと
聖路加国際病院 PCU  小和田美由紀
 3年前にヒマラヤ登山中に雪崩で亡くなった仲間の供養をするために、10月、ネパール・ダウラギリ山(標高8167m)のベースキャンプ(4900m)を目指し登りにいった。遺体は今もダウラギリ氷河の中に埋もれている。
 私は、富士山より標高の高い山に登るのは初めてであった。順化する時間の余裕がなかったために、身体症状がでる。天候も悪く、標高4000mあたりから気温はマイナスになり、呼吸困難と咳が出だし、一緒に同行した仲間に呼吸法を教えられ、夜間も背中を擦ってもらった。脳圧亢進からの頭痛に薬(ダイアモックス)を飲みつつ、症状をコントロールしながらの登山となった。食欲もなく、水分摂取も困難となるが、24時間排尿がないため利尿剤(ラシックス)と大量の水を無理やり飲んだ。心の中で、この体調のつらさをかかえつつ、死を覚悟して登る困難なルートへの挑戦をした彼らは何を思ったのだろうと考えながら、1歩1歩足を引きずるように登った。身体は重くつらく、自分自身と向き合う時間がありすぎて、心は泣き叫びたい気持ちにもなった。
 緩和ケアに携わり7年目になる。初めて呼吸困難や脳圧亢進の体験をして、自己管理はできると自負していたにもかかわらず、いざ症状があると、薬を飲んでも辛く、背中を擦ってもらったり、肩を揉んでもらったり、傍にいてもらうことがいかに安らぐかを感じ、少しずつ楽になりようやく眠れた。トータルペインにおいて、症状コントロールしていても、いかに傍にいることやメンタルケアが大切かということを、当然であるが改めて実感した。
 緩和ケア病棟で最後を看取られる患者・家族は目の前に死という事実を受け入れざるを得ない。雪崩で遺体が発見されておらず、遺体を見ていない家族は今も死を受け入れられないでいる。遺体を見ずに死を受容する作業がまだ私にはできない。生きている者は、遺体を見ずして、死を受け入れることが時間の経過で可能となるのだろうか?このようなことを考え、関連した書籍を読みながら、緩和ケアの臨床で、答えを探している。

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