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苦痛緩和のための鎮静に関するガイドライン(2010年版)

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6章 文献的検討の要約
2 生命倫理学的検討
3
鎮静の倫理学的基盤
 医療における一般的な倫理原則として,自律性原則,与益原則,無加害原則,正義・公平の原則が挙げられる。自律性(autonomy)原則とは,「患者の自律的な意思を尊重するべきである」という原則をさす。与益(beneficence)原則とは「患者の利益になるようにするべきである」,無加害原則(non maleficence)とは「患者に害を加えないようにするべきである」,正義・公平(justice/equality)原則とは「社会的公平を保つべきである」という原則をさす。
 さらに,医療行為に患者に益をもたらす(好ましい)効果と害をもたらす(好ましくない)効果があるために,与益原則と無加害原則の双方を同時に満たすことができない場合,倫理的妥当性を検討する手段として,2重効果の原則(principle of double effects)を立てる立場,あるいは,相応性原則(principle of proportionality)を立てる立場がある。
 鎮静について倫理的妥当性を考慮する際には,自律性原則に加えて,与益原則と無加害原則を基盤とした2重効果の原則,および,相応性原則が参照される。
1. 自律性原則(principle of autonomy)
 自律性原則に照らす限りでは,意思決定能力のある患者が十分に知らされたうえで自発的に決定することが,鎮静が妥当となるために必要である(Cowan 2002;Hallenbeck 2000;Hunt 2002;Morita 2003a;Quill 1997;Rousseau 2000)。
2. 相応性原則(principle of proportionality)
 相応性原則は,「好ましくない効果を許容できる相応の理由がある場合,倫理的に妥当である」とする。鎮静に相応性原則を適用すれば,苦痛緩和という好ましい効果に,意識低下や生命予後を短縮する可能性が伴ったとしても,相応の理由がある場合には倫理的に妥当であるとみなされる(Hallenbeck 2000;Morita 2003a;Quill 1997;Wein 2000)。
 鎮静に相応性原則を適用するときの「相応の理由」として,①好ましい効果(苦痛緩和)が好ましくない効果(意識の低下,生命予後を短縮する可能性)を上回ること,および,②患者の状態(著しい苦痛があり,ほかの手段では緩和される見込みがないこと,患者の死期が迫っていること)から判断して鎮静が相応の行為となることが挙げられる。
 相応性原則では,患者の状態,予測される益(benefits),および,予測される害(harms)からみて,すべての取り得る選択肢のなかで鎮静が最も相応な行為である場合,倫理的に妥当となり得るとする。
 ただし,相応性原則に則るからといって,必ずしも行為の意図を度外視することにはならない。相応性原則により,鎮静がその状況において最善と判断される場合,鎮静がもたらす益の故に(つまり,苦痛の緩和を意図して),これを実施するのは倫理的に適切であるが,害の故に(つまり,人間的生活ができなくなることを意図して),これを実施するのは不適切であるからである。
3. 2重効果の原則(principle of double effects)と行為の意図
1)一般的な2重効果の原則
 2重効果の原則では,好ましい効果を意図した行為が,好ましくない結果を生じることが予測されるときに,良い意図の存在によって,好ましくない結果を許容しようとする。すなわち,好ましくない結果が生じることが予測されても,①行為自体が道徳的である,②好ましい効果のみが意図されている,③好ましい効果は好ましくない効果によってもたらされるものではない,および,④好ましくない結果を許容できる相応の理由がある,場合に妥当であると考える。要件のうち,④は単独で相応性原則として扱われる。
2)鎮静における2重効果の原則の適用:3つの見解
 2重効果の原則によって鎮静の倫理的妥当性を判断しようとするときに,鎮静の好ましくない効果として,意識の低下について検討する見解(A)と,生命予後を短縮する可能性について検討する見解がある。後者には,「好ましくない効果を生じることが予測される」ことに,「確実に生じる」場合を含んではならないとする見解(B)と含んでよいとする見解(C)とがある。
 したがって,2重効果の原則の鎮静への適用においては,以下の3つの見解がある。
 A:鎮静の好ましくない効果は意識の低下であり,苦痛緩和に伴う二次的な意識低下を許容することは妥当とするが,意図的に意識を低下させる薬剤の投与は妥当としない(Jansen 2002ab;Sulmasy 1999)。この見解では,例えば,疼痛に対してモルヒネを増量して二次的に傾眠となることは許容するが,せん妄に対して患者の意識を低下させることを意図して睡眠薬を投与することは許容しない。
 B:鎮静の好ましくない効果は生命予後を短縮する可能性と考え,生命予後の短縮が予測されたとしても意図されていないのであれば鎮静は許容する。ただし,生命予後の短縮が単に予測されるのみならず,確実に生じる状況の鎮静は妥当としない(Baumrucker 2002;Quill 1997)。この立場では,例えば,死亡が数時間以内に生じると考えられる全身状態が非常に悪化した患者が呼吸困難を訴え鎮静を行う場合,鎮静薬の直接作用による呼吸抑制と死亡をもたらす可能性があるが,苦痛緩和を意図していることが了解できるように鎮静薬を少量ずつ緩徐に投与するならば,仮に死亡が生じたとしても意図されていないと判断して許容する。一方,鎮静を行わなかったならば,数カ月の生存が見込める患者に水分・栄養の補給を行わずに深い持続的鎮静を行う場合,患者の生命予後を鎮静により短縮させることが確実であるため,確実に生じる生命予後の短縮を意図していないと主張することはできないと考え,妥当としない。
 C:鎮静の好ましくない効果は生命予後を短縮する可能性であり,生命予後の短縮が意図されていなければ鎮静を妥当とする。すなわち,「鎮静は苦痛緩和を意図しており,生命予後の短縮を意図していない」との主張に基づき鎮静を妥当化する(Bernat 2001;Rousseau 2000;Walton 2002;Wein 2000)。
3)鎮静における2重効果の原則の適用:反論
 2重効果の原則による鎮静の倫理学的妥当性について専門家の見解は一致していない。2重効果の原則により鎮静の倫理的妥当性を検討しようとする立場に対する反論には以下のようなものがある。
  • 鎮静によって死期が早められるという2 重効果の前提そのものが医学的知見では支持されていない(Lynn 1998;Morita 2001d;Sykes 2003;Walton 2002)。
  • 意図的な意識低下を許容しない立場(A)では,鎮静では意識の低下が意図されているとする臨床家の見解と矛盾する(Morita 2002d;Rousseau 2002b)。
  • 生命予後を確実に短縮すると考えられる場合に鎮静を行うことを許容しない立場(B)では,著しい苦痛を放置する場合が生じ得る。例えば,この立場では,生命維持には直接影響しないが,耐え難い疼痛や精神的苦痛が緩和されない場合の鎮静は許容されない。したがって,患者が耐え難い苦痛から解放される手段はないことになる。しかし,著しい苦痛のまま死に至らしめるよりは,生命が短縮したとしても苦痛を緩和することが倫理的であるとみなされる場合があると考えられる(Rousseau 2002b)。
  • 鎮静で苦痛緩和のみが意図されていると主張する立場(C)では,(1)医師の意図は両価的である,すなわち,苦痛緩和という意図をもちながら,同時に,生命を短縮させる意図をもつことがあるかもしれない,(2)意図と予見を明確に区別することはできない,および,(3)医療者は意図のみならず結果に責任をもつ必要がある,という点を十分に考慮していない(Hunt 2002;Lowey 2001;Quill 1997, 2002)。

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